新潟大教育学部の柳沼宏寿教授は「シネリテラシーフェスタ」を福島、新潟両県で毎年開催するなど、長年、美術教育が専門で中高生を対象に映像制作教育に取り組んできました。

その柳沼教授がこのほど上京したおり、60年前に起きた「本宮方式映画教室運動」に関する資料と論文などを本コンクール事務局に提供していただきました。本宮方式は「シネリテラシーフェスタ」を始める動機であり、映像制作教育の大切さを知る端緒だったそうです。

その本宮方式とは1956年、故郷の福島県・本宮市(当時、本宮町)でお母さんたちが「青いえんぴつの会」を作り、子供たちに良質な映画を見せる運動を始める。56年当時は「太陽の季節」(石原慎太郎著)が出版され、「太陽族」と呼ばれた若者たちが闊歩していた時代です。

お母さんたちは町の映画館に良質な映画の上映を働きかけ、その代わりに映画館へ家族ぐるみで映画を観に行く。それから学校は学校教育の中にも映画を積極的に取り入れるようになり、町あげての映画運動になっていきました。

1965年には青いえんぴつの会、映画館主、町の有志などが奔走し、映画制作費1200万円のカンパを集め、映画「こころの山脈」(吉村公三郎監督、千葉茂樹脚本)を制作。上映されると反響は大きく、キネマ旬報社は自社主催の映画コンクールで「本宮方式映画制作の会」に特別賞を授与しました。これを機に「本宮方式映画教室運動」として全国に知られることになります。

柳沼教授は「本宮方式映画教室運動」に「日本こども映画コンクール」を重ねながら本コンクールへの期待を次のように話しました。

「『本宮方式は、映画と教育の文化を、子どもを中心として親、学校、地域、そして映画産業が連携しあいながら創造する方法である。この方法が優れているのは異なった立場の人々が協働することによって地域の産業と教育が支えられた』(自著論文)のです。本コンクールは子供たちが故郷の文化を発信する上で貴重な機会です」

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新潟大教育学部の柳沼宏寿教授は「シネリテラシーフェスタ」を福島、新潟両県で毎年開催するなど、長年、美術教育が専門で中高生を対象に映像制作教育に取り組んできました。 その柳沼教授がこのほど上京したおり、60年前に起きた「本宮方式映画教室運動」に関する資料と論文などを本コンクール事務局に提供していただきました。本宮方式は「シネリテラシーフェスタ」を始める動機であり、映像制作教育の大切さを知る端緒だったそうです。 その本宮方式とは1956年、故郷の福島県・本宮市(当時、本宮町)でお母さんたちが「青いえんぴつの会」を作り、子供たちに良質な映画を見せる運動を始める。56年当時は「太陽の季節」(石原慎太郎著)が出版され、「太陽族」と呼ばれた若者たちが闊歩していた時代です。 お母さんたちは町の映画館に良質な映画の上映を働きかけ、その代わりに映画館へ家族ぐるみで映画を観に行く。それから学校は学校教育の中にも映画を積極的に取り入れるようになり、町あげての映画運動になっていきました。 1965年には青いえんぴつの会、映画館主、町の有志などが奔走し、映画制作費1200万円のカンパを集め、映画「こころの山脈」(吉村公三郎監督、千葉茂樹脚本)を制作。上映されると反響は大きく、キネマ旬報社は自社主催の映画コンクールで「本宮方式映画制作の会」に特別賞を授与しました。これを機に「本宮方式映画教室運動」として全国に知られることになります。 柳沼教授は「本宮方式映画教室運動」に「日本こども映画コンクール」を重ねながら本コンクールへの期待を次のように話しました。 「『本宮方式は、映画と教育の文化を、子どもを中心として親、学校、地域、そして映画産業が連携しあいながら創造する方法である。この方法が優れているのは異なった立場の人々が協働することによって地域の産業と教育が支えられた』(自著論文)のです。本コンクールは子供たちが故郷の文化を発信する上で貴重な機会です」